大人になるということ
あと数ヶ月でモラトリアムが終わることが、最近とみに身に染みるようになった。
ふと、何でもない時に、大人になるということはどういう事なのだろうかと考える。
外的要因から考えるならば、その定義は様々あるだろうけれど、内的要因から「大人になること」を考える時、それは「感情が鈍くなること」ではないかと思った。
今もこうしてクリスマスや年末を前にしているのに、昔のような高揚感は覚えない。
「つらいことや悲しい事があるから、人は人に優しくなれる」
それもまた、経験を経て「つらさ」や「悲しさ」に鈍くなっているからであると考えたらなんとなく納得も出来る気がした。
なるべく世間一般という見えないルートを負い、冒険しないことは、感情を一定の振れ幅に抑え、穏やかな生活を形成していくだろう。
しかし、大人になっても、経験したことのないもの達への出会いは感情を揺さぶる要素足り得るのではないか。
ここまで考えて、私の仮説も破綻した。
様々なことから何かと理由をつけて諦めるのではなく、本当に心が赴く方向へ向き合っていたら、自ずと心の振れ幅は大きくなる。
とするならば、私は今年の抱負に「心の振れ幅は小さく、行動の振れ幅は大きく」を掲げていたが、ここは比例していくのではないか。
今年も沢山の出来事があって、穏やかな幸せや、楽しみ、緊張や思いもよらない悲しみがあって、そうやって心が大きく振れる度に、行動の幅もまた広がった1年であったように感じる。
明日からクリスマス三連休。
幸せな心の振れがありますように。