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袖振り合うも多趣味の縁

手芸、書道、写真、旅行、読書が趣味なアクティブに生きたい私のBox型ブログです。興味のあるコンテンツ一つから、読んでいただけると嬉しいです。

【感想・考察】森見登美彦「夜行」

※ネタバレ含むためご注意ください。

 

 

さて、昨日は結局すぐお布団へダイブしてしまったため、日は改まりましたが森見登美彦さんの「夜行」の私なりの感想を。

 

読んだ方と感想共有したい思いから書いているので、あらすじは省略で。

 

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では、はじめましょう。

まず、夜行側の主人公と周辺環境、またその曙光側について概観します。

[夜行]

夜行にいる大橋は、10年の時を過ごしており、ヒロインであるところの長谷川さんは女子高生のままである。そして、各絵画における女性はそれぞれの物語における妻であったり友人であったり、各物語の女性である。
岸田道生は実際の景色を見ないで「夜行」を書いており、妻に値する女性を持たず、(明記はされないが)男達の集まるサロンを形成し、夜型の生活を送る。「夜行」と同時に、たった一度きりの朝を描いた「曙光」という作品の存在を仄めかすが、側近でもその作品の姿を見たものはおらず、謎に包まれた作品と位置付けられる。そこには岸田宅に暗室の存在が語られ、本人は5年前に死んでいるとされる。

「世界は常に夜なのよ」という少女長谷川さんの言う通り、夜行の世界の夜は時間感覚を失うくらい同じような夜であるとされる。
鞍馬の長谷川さん失踪事件から10年の節目(ここは森見登美彦さんの10周年と掛けているか)、で英会話スクールのメンバーは京都に集まる。

 

[曙光]

曙光において、失踪したのは主人公自身であり、長谷川さんは失踪していない。主人公の失踪後、鞍馬の祭りで長谷川は岸田と出会い(正確には2度目にあたるので再会)、その後、妻として共に旅をしながらその情景を「曙光」として描いていく。一時、「曙光」の対となる作品に「夜行」を、構想したことが語られるが、この世界での「曙光」は夜行世界における「夜行」に位置している。曙光の世界の岸田は生存しており、岸田サロンなるものは存在せず、暗室も語られない。一日として同じではない朝を妻と共に切り取りながら生活している。
長谷川さん失踪(この世界においては主人公の失踪)から10年目の節目であっても、英会話スクールのメンバーは京都に集まることはない。

 

以上がそれぞれを対比させた場合のまとめである。
失踪事件の10年目に集まったことで、夜行の世界は曙光の世界に出会うという物語の構造をもっている。
夜行の自分の存在は、たった一度きりの朝、つまり曙光であったと自覚し、英会話スクールのメンバーに自分の無事を電話で告げ、主人公は夜行の世界に戻って行くのでいる。

このあたり、マッチ売りの少女感が強い。

また、夜という異世界への繋がりが強まる要素を絵画世界と結びつけて、もしかしたら各物語の女性たちが絵画世界へ行ってしまったのではないかという一抹の不安を結びつける。

そして、暗室が(正確には違うが)死―再生の物語譚のような存在感を示す。主人公がは暗室に行ったことがあるという経験を機に物語の転機を迎えているのはそのためなのだろうかと考える。

 

夜と朝という曖昧な境界と
現実と、理想の狭間を対照的に描いたように感じた。

夜は幻想を見せ、朝は現実を照らす。
しかしその幻想が現実であり、現実は幻想であったと知った時の衝撃を受けた。

理想を理想であると気付いた時、本当の現実に出会うのであって、それによって理想に縛られた自分の現実に深い理解をする。
ここから理想を始めるか、つまり夜行にいた自分を認めた上で生活を再構築する(これが中井さんへの電話)か、諦めに似た感情から夜、つまり夜行の世界に紛れるか、それは読者次第ということなのだろうか。

 

 

……以上、曖昧で個人的な感想でした。

よろしければ。